ご飯一杯。明太子一本。 納豆はひとパックで数えるのかな? パック売りになる前はなんて数えていたんだろう。一把?一束? 日本語は冗長な言語だとはよく言われる。 平仮名があり、カタカナがあり、複数の読みを持つ漢字があり。 数助詞なんてその最たるもんだと思うんだけど。 一つ二つで通じるのにわざわざ一本二足三艘四粒五台と使い分けてみたり。 この冗長性が表現の幅をもたらすんだろなあとは思う。 稚拙な例だけど、熊のぬいぐるみを数えるのに、一体と言うか一頭と言うかひとりと言うかだけでも、話者とぬいぐるみのイメージや関係が暗示できたり。 PerlのTMTOWTDIじゃないけど、表記の仕方が一つではないというのが一方で個性的な表現を生み、一方で曖昧さを生んでいるんだろう。 そんな曖昧さの隙間に生じる、特殊な前提を共有する者の間でのみ一意に収斂するような、言葉遊びの類ようなものが好きだったんだよなぁ。。って言葉にすると訳わかんねぇ。 とりとめもなく考えながら食べたせいか、最後の一本の明太子の味はさっぱり覚えていない。