いちにいさんたくさん

言語は思考を決定するのか?
数字に着目して調査したのだそうで。






普通に生活していて数字を目にしない日はないと思う。
いろんなものに評価を下す場合に数値を用いて定量化するのもよくあることで。
金だって価値を定量化したものだし。
テストのスコアなんてのも能力の数値化の最たるものだし。
車の馬力なんてのもそうかも。日本人は好きだよね、こういう数字。
倍違えば体感できるんだろうけど1割2割の差を識別・体感できるものなのか。
その指標に基づく評価をもって取捨選択しているとすれば、数字、すなわち言語による思考の決定と言えそう。

アナログ世界をさまざまな形で抽象化し、数値化することで世界のすべてを定量化し、再現可能にするのが科学の使命。数値化された世界は本質的に唯一無二でありえない。
あらゆるものがデジタル化されている今だからこそ数値で表せないアナログな部分をいとおしく思うのだろうか。

そもそも数字というものがない世界では何が大きな指標になるんだろう。
色?形?におい?
それとも指標なんかなくて競うこともなくみんな仲良くくらしてんのかな。。

コメント

  1. これは面白いね。
    その言語にない表現は、それそのものを想像することが難しいわけですな。
    数字だから例としてわかりやすいけど、例えば侘び寂びや萌えが日本人にしかわからない、と言われるのもそのせいかな。
    外国人には頭でわかっても表現するすべを持たないだけ、というべきか。
    言葉なんて感覚のほんの一部分を情報化たしだけのものですからのう。
    ごはんを食べて「おいしい」と感じても、それは100人いたら100とおりのおいしいがあるわけで、「おいしい」という単語自体がその感覚を完全にデータ化できてるわけじゃないし。

    遠い未来において、科学から数字が消える日がくる気がする。
    むしろ今の科学はまだ宗教のひとつから抜け出せていないと思うのよね。


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  2. うんうん。数字以外の言葉への研究なんてのも見てみたい感じ。
    言葉って時間的にも空間的にもすごく制約のあるものなのに、それが多岐にわたる五感を制しているかもってのがおもろかった。

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